2022/10/01

マルセル・ミュール氏のエッセイ"The Saxophone"(1950年)

1950年の"Symphony"誌より、マルセル・ミュール氏のエッセイ。1958年のアメリカツアーに際してプログラム冊子に英訳が掲載されたが、それを日本語訳した。ミュール氏の書いた、こういった長い文章を見るのは初めてだ。

==========

今日、サクソフォンほど流行している楽器はないだろう。どんな小さな村でも、その土地の守護聖人の祭りの日には、30年前にはまったく無視されていたこの楽器の音で踊るのである。100年以上前から存在していたサクソフォンだが、人気の開花にはジャズの出現を待たねばならなかった。

100年の間に自身の発明が成功に至ることになったが、ダンスミュージックの分野における成功は、気鋭の楽器製作者、アドルフ・サックスも予見していなかったのである。彼はサックスを、オーケストラにおいて木管と金管をつなぐものとして考えていた。そして、前世紀には、サクソフォンをこのように使って、素晴らしい結果を得た作曲家もいた。ビゼーは「アルルの女」で、マスネは「ウェルテル」と「ヘロデ王」で、アンブロワーズ・トマは「ハムレット」で、この楽器に第一級の重要な役割を与えている。その後、ドビュッシーが「ラプソディ」を、フロラン・シュミットが「レジェンド」をこの楽器のために作曲している。

しかし、ほとんどの作曲家はサクソフォンを無視し、サクソフォンが大規模な交響楽団の中に定常的に組み込まれることはなかったと言わざるを得ない。パリ音楽院にサクソフォン・クラスが設けられ、アドルフ・サックス本人に教授職が託されたが、創設後間もなく中断せざるを得なくなった。しかし、軍楽隊や合唱団がこの楽器を採用したため、完全に消滅したわけではなかった。

サクソフォンがスターダムにのし上がるにはジャズの出現が必要だったが、繰り返すが、このことをアドルフ・サックスは望んでいなかったことは明らかである。残念なことに、多くの人はジャズの側面でしかサクソフォンを知らない。クラリネットもトランペットもトロンボーンも、そしてヴァイオリンさえも、ジャズの中でしか聴いたことがないとしたら、どうだろう。シンフォニー・オーケストラに貢献するために考え出された楽器が、"シンフォニスト"に軽蔑され、ジャズの中だけで役に立っていることは、サクソフォンに起こったドラマのようなものだ。

シンフォニー・オーケストラにおける、こんな傾向もある。フランスでは現在、著名な作曲家たちがこぞってサクソフォンを採用しており、アルテュール・オネゲル、ジャック・イベール、ダリウス・ミヨーなどは、楽譜の中で忘れることはない。個人的には、サクソフォンの音色の豊かさと気高さ、表現の可能性、ヴィルトゥオーゾとしての均整のとれた演奏のすべてを高く評価している。私は長い間、サクソフォンのすべての能力を活用しようと努めてきた。私はカルテットを結成し、20年ほど前からフランス全土、そしてヨーロッパの多くの国々で演奏している。

私は"シリアス"なサクソフォンの唯一の擁護者であるかのように装っているわけではない。ヨーロッパにもアメリカにも、この問題に熱心に取り組んでいるアーティストがたくさんいる。すでに多くのカルテットが存在するが、私たちは少数派である。この運動が十分な広がりを見せるには、また、一般大衆がこの"甘ったれた"楽器の高貴さをようやく発見するためには、まだ長い時間が必要であろう。

サクソフォンは、交響楽団の中で、通常オーケストラに使われるすべての管楽器と同じ重要性をもって、第一級の役割を果たすことができる。そのため、他の楽器と同じように細心の注意を払って演奏しなければならない。つまり、音色の質、イントネーション、すべてのニュアンスにおけるアタックの正確さ、一言で言えば、非常に真剣な総合的テクニックを身につけることである。サクソフォン奏者は、名人芸の観点から、他のすべての楽器の奏者と同じように努力しなければならないし、確実に楽になるためには、音階、アルペジオ、エチュードに取り組まなければならない。美しいテクニックを身につけるには、すでに多くの練習曲や習作が存在し、それで十分である。

音の良し悪しについては、もちろん個人の好みの問題であるが、少し助言させてほしい。私の考えでは、美しい音を出すためには、まず喉が完全に自由であること、つまり収縮を防ぐことが不可欠である。「オ」「ア」と発音するように喉を開きながら、楽器の中に空気を送り込むことが必要だ。こうして、音の大きさとすべての音域での使いやすさを同時に手に入れることができる。この状態を実現し、音の下品さを避けるために、十分な硬さでマウスピースを維持し、かつリードに過度な圧力をかけないようにします。

この2つの要素、フリー・スロートとアンブシュアのコントロールは、音色の質を高めるために欠かせないものである。

サクソフォンの特徴ではないが、表現上の要素として、ビブラートというものが残っている。ヴァイオリンやチェロが「まっすぐな」音色であることは考えにくい。フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンの表現力豊かな音色には、もう何年も慣れっこになっている。これらの楽器は弦楽器と表現力を競い合い、オーケストラに強烈な情感を添えている。この点ではサクソフォンも同じである。

ビブラートは、音の高さの変化によって得られる起伏と、起伏の速さの2つの要素から構成される。音色に俗っぽさが出ないように、うねりは大げさではなく、はっきりと感じられる程度でなければならない。連続するうねりの速さについては、メトロノームを使って作業し、震えや、遅すぎるうねりから生じるワウワウを避けるテンポを自分に課すことは、優れた練習方法である。

経験と味わいによって、音色に質の高い情感を与えるヴィブラートに到達することができる。

以上、短い文章ではあったが、私のサクソフォンに対する考え方を十分に明らかにすることができたと思う。最後に、多くの若いアマチュアが、この美しい楽器に期待されるあらゆる喜びを実感できるようになることを祈りたい。私は、ジャズ・サクソフォン奏者の演奏する効果にいち早く注目しているが、この素晴らしい楽器がもっと崇高な使命を果たすべき時に、大多数の大衆がこのような名目でしかサクソフォンを知らないことを残念に思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿