2022/09/20

ミュール氏引退のこと

父は、クラシック音楽は好きだったが、サクソフォンについては、特に深い関わりなく、専らこのブログが情報源(スマートフォンも無い時代で、印刷して読んでいた)。亡くなってだいぶ経つが、病に伏せる前から、近況を記した数多くの手紙を送ってくれていた。サクソフォンについては、体系的には把握せずとも、時々思うことがあったようで、多くの手紙のなかの一部でたまにブログの内容に触れることがあった。

マルセル・ミュール氏のことをあれこれ調べ直しているときに、ふと、ミュール氏引退(1958年にソロ活動引退、1967年に四重奏を解散、1968年に教授職を引退、特にソロ活動については、フィジカル・メンタルのバランスが取れた最高の時期であり、不可解に映る。ボストン交響楽団との録音をきいても、あまりの素晴らしさに腰を抜かす)の理由について、父が独自の考えを述べていたことを思い出し、その内容を引っ張り出してきた。

ミュール氏が、アメリカツアーを機に自身の演奏活動に限界を感じて‥という一般的な考えとともに、それと同じくらい次のような考えがあったのでは、というのが当時の父の持論である。今読み返すと、当時(15年前)よりもさらに深く納得・同意してしまった。

==========
ミュールは、続く世代のためにサクソフォンの可能性を可能性のまま「手をつけずに残しておいてくれた」のではないか。自分がやるべきことはやり、これから発展する可能性のあるものはあとは若い世代へと託したのではないだろうか。手紙の中からそのまま引用すると、きっとミュールはこう考えていたに違いないと:「さあ、わたしはここまでやってきた。次は君たちの番だよ、私のやってきたことを存分に吸収して、次に君たちがサックスの世界をもっと広げていってほしい」。
==========

これが本当だとすれば…あながち間違いではなさそうだが…ミュール氏がこのような考えに至ったことは、この時期の引退は、ミュール氏の器の大きさを示す一つの大きなエピソードである、とも言えそうだ。とはいえ、不確実性ばかりが蔓延る現代にあってはこのような考えに至ることの難しさも承知しており、現代の状況を批判するものではない。

下記は、ボストン交響楽団1957-1958シーズンのプログラム冊子表紙。

0 件のコメント:

コメントを投稿