2015/05/20

ラッシャーの記事 on The New York Times

The New York Timesのアーカイブに、サクソフォン奏者のシガード・ラッシャー Sigurd Rascher氏が亡くなった時の記事を見つけた。ざっと読んでみたが、ラッシャーに関連する略歴や功績が良くまとまっており、とても良い記事だと感じた。さすが世界に名の知れている新聞だけあるなあ。

http://www.nytimes.com/2001/03/26/arts/sigurd-rascher-94-who-showed-the-sax-could-be-classy.html

初めて知ったこととして、アメリカ国籍を取得する際、戦時中ということもあり移民の受け入れが難しく、届け出が受理されなかったことが書かれている。この時、ラッシャーはキューバに赴き、サトウキビの収穫をしながら受け入れのタイミングを待っていたそうだ。へええ。

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さて、ご存知のとおり、ラッシャーは、サクソフォンをクラシック楽器として位置づけるための様々な開拓を行った。フラジオ音域の研究、さまざまな作曲家へのオリジナル作品委嘱、バロック作品の編曲、マウスピースの構造見直し、独奏・四重奏・オーケストラサクソフォニストとしての、積極的な演奏会への出演やレコーディング…等である。これらの功績について、ラッシャーが問いかけられた時の言葉が、最後に記されている。

When asked about this and his other achievements, Mr. Rascher always had the same straightforward response: ''Someone had to do it.''
ラッシャーは、その功績について聞かれると、必ずこう言ったという。「誰かがそれをやらなければならなかったのだ」

実に象徴的だ。ラッシャーは、いわゆるフレンチ・アカデミズムとも呼ばれる、クラシック・サクソフォンの"本流から外れた"と評されることも多いサクソフォニストである。フレンチ・アカデミズムの世界では、そちらはそちらでサクソフォンをクラシック楽器として位置づけるための多くの努力・研究がなされており、成果も多いのだが、それを敢えて知っている上でのこのコメントである。"本流から外れてしまった"と評されたサクソフォニストらしい、そんなちょっとチクリと心が痛むような言葉だった。

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