2010/01/23

上野耕路「N.R.の肖像」

はじめて"上野耕路"という音楽家…作曲家でもありキーボーディストでもあり…の名前を知ったのは、アルモ・サクソフォン四重奏団のアルバム「革命児」に収録された「N.R.の肖像」によってだった。おそらく大抵の人が"ゲルニカ"や"たらこ"といったキーワードをベースにして上野耕路の音楽世界に入り込んでいくであろうことを考えると、私のそれは誠に奇っ怪な切り口であったと思う。

そうなのだ。私にとって上野耕路氏といえば、まずは「N.R.の肖像」であり、その後偶然手に入れた室内楽作品集に所収された「Connotations」であり「Quartetto per Sassofoni」なのである。そんなに多くの作品を聴いたことがあるわけではないが、この音楽家の魅力はメジャーな部分からマイナーな部分まで、幅広い部分に現れていると思う。何年に作曲されたこの作品が一番の傑作、という感覚で捉えるときちんとその音楽家の像を捉えることが難しいように、さまざまなジャンルを渡り歩かなければ本質的な部分を観測することはできない。群盲象を撫ずとは、良く言ったものだ。

かくいう私も、最近になってようやく上野耕路氏のことを勉強し始めた身。戸川純とのデュエットによるゲルニカを聴いて衝撃を受け、うわ、これはヘタに触るとヤケドをするだろうと感じ、あと一歩のところで踏みとどまっているその最中。自分の"聴く器"の小ささを実感させられた。ということで、「N.R.の肖像」に関しても限定的な紹介となってしまうのだが…。

上野耕路氏が幼少の頃より親しんだ、フェデリコ・フェリーニ作品、そしてニーノ・ロータの音楽を、氏独自の解釈で再構成した4楽章から成る傑作。第1楽章の冒頭は、フェデリコ・フェリーニ監督の最高傑作「8 1/2(はっかにぶんのいち)」で、サラギーナが踊るルンバの音楽、というよりも、グイドがその後ひとり海岸を訪れたとき、椅子に腰掛けたサラギーナがもの悲しげに口ずさむ、同一のメロディながらそちらの雰囲気を想起させる。続いて、エドガー・アラン・ポーの原作を元に制作された「悪魔の首飾り(オムニバス映画、世にも怪奇な物語において、フェリーニが担当した作品)」の、空港のメロディをベースにしたフーガ。フェリーニ好きには、たまらないのではないだろうか。しかも、単純なメロディの引用ではなくて、どのメロディもかなり技巧的な変形が加えられており、見事だ。第4楽章は、なぜかテナーが演奏する「ペルシャの市場にて」を挟みながら、最後は「8 1/2」のメイン・テーマが、まるで映画の最後を思わせるシーンのように消えてゆく。映画を知っている向きには、ニヤリだろう。

ところで、私はこれまでフェデリコ・フェリーニの作品を観たことがなく、この曲を少し勉強してみようと思い、「8 1/2」を観てみたのだが、驚異的なモノクロの映像美に、美しい構図の数々、美しい女優たち、最後の超特急展開と、非常に興味をそそられる作品だった。途中、展開に頭がついて行かなくなったのだが、もう一回くらい見れば判るのかなあ。

もとはフルート、バソン、2本のサクソフォン、ヴィブラフォン、マリンバ、アコーディオン、ピアノ、弦楽五重奏という室内オーケストラの編成のために書かれた作品なのだそうだ。こちらのバージョンも、機会があればぜひ聴いてみたい。

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