2010/01/16

エディソン・デニゾフの経歴

ロシアの作曲家、エディソン・デニゾフ Edison Denisov氏の経歴を調べてみた。

1929年4月6日、シベリアのトムスク生まれ。父は電気技術者であり、そんなこともあってか、両親はかの有名な発明王エジソンの名前を息子に与えたそうだ。彼が最初勉強していたのは、数学。モスクワ大学で数学の学士号を取得したが、ドミトリ・ショスタコーヴィチの勧めにより作曲家に転向する決意をする。1951年よりモスクワ音楽院で作曲、管弦楽法、アナリーゼ、ピアノ(ウラジミール・ベロフに師事)を学び、1956年に卒業する。1959年には、同音楽院の管弦楽法の教授として採用された。

デニゾフは、他の同世代のロシアの作曲家と同じく、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ヴェーベルン、ブーレーズ、バルトーク、ノーノらに影響を受けた。もちろん、単なる模倣というわけではなくて、デニゾフの作曲スタイルは、独自のものと伝統音楽を、絶妙な感覚でミックスしたものである。

Gabriela Mistralの詩による、「インカの太陽」を作曲したのが1964年。同年、ヨーロッパで初演され、大変な好評を得た。それがきっかけとなって、デニゾフは海外の雑誌や記事に対し、ソヴィエトの同時代の作曲界についての記事を掲載するなどし、ソヴィエトの音楽の啓蒙に務めた。また、知人となった音楽関係者に、自国の音楽のスコアや録音を送るなどした。それ以上に、デニゾフ自身も、数多くの西側のスコアや録音を受け釣り、最終的にちょっとしたライブラリほどの所蔵資料がデニゾフの手元に集まったという。

1990年には、Association for Contemporary Musicの設立に携わり、その活動からモスクワ現代音楽アンサンブルが生まれた。同年、デニゾフはパリへ移住。パリ移住後も、創作意欲は衰えることなく、数多くの作品を作曲。1996年に故郷へ戻ることなく、亡くなった。

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