カリーナ・ラッシャー Carina Raschèrは、シガード・ラッシャー Sigurd Raschèrの娘であり、ラッシャー派を代表する演奏家の一人。また、ケネス・コーンは、リンダ・バングス Linda Bangsの後を継いで、ラッシャーサクソフォン四重奏団のバリトンサクソフォン奏者に就任した演奏家。
MusicMedic.comというウェブサイトに、彼らのサクソフォンというか、彼らのサクソフォンのリペアにまつわるエッセイが載っていた。記事を執筆したCurtという人は、Buescherサクソフォンのリペアに定評があるようだ。ケネス・コーンの楽器の詳細や、ケネスを通じてカリーナがソプラノのオーバーホールを依頼した、という話も掲載されている。
http://news.musicmedic.com/index.php?entry=entry090106-064304
私は楽器のことはよくわからないが、それにしてもカリーナのソプラノも、ケネスのバリトンも、実に美しい楽器だ。彫刻といい、ベルのカーヴといい、表面の仕上げといい…。ヴィンテージ・サクソフォンの最良の形のひとつである、と言えるだろう。
リンクページの楽器画像見てきました。
返信削除実に美しい!
人間工学なんていう言葉を発明して以降、こういうデザインがかえって減少してきているのでは??
> Sonoreさん
返信削除おお、なるほど。
どうも最近の楽器は、まあ形がすべてとは言いませんが、やや個性的でなくなってきているのかなあと…。
サクソフォンという楽器はまだ不完全なので、楽器にすべて頼ってはだめで、上手く付き合っていくべきです。そう考えると、新しく開発された楽器が良い、ということは全然ないと思うのです。付き合い方によっては、この楽器からポテンシャルを引き出して、現代の楽器に負けない演奏をすることも可能だと考えます。
> サクソフォンという楽器はまだ不完全
返信削除ベーム式のフルートも実は同じだと思うのですが、どうも昨今は楽器に依存する思想が蔓延していますね。
> Sonoreさん
返信削除楽器に頼ろうとする思想が、そのまま楽器の設計に反映されてしまっているわけですか。
楽器に限らず、人間が使うものすべてに関する必然的なシフトの方向だと思いますが、ちょっとつまらない気はしますね(笑)。
道具としての楽器というものを考えればkuriさんの言われるとおり、使い手が楽に便利に発展して正解です。でも、頼るだけでいいのか?という疑問があるんです。楽器本来の機能や求めた性能を発揮するべく、それをコントロールするのは奏者の仕事だと思う。それの訓練まで軽微にしようとしては・・・。
返信削除> Sonoreさん
返信削除それを聞いて、楽器演奏の技術は過去から未来に向かって発展している、と一般に言われていますが、一概にそうとは言えないのかも…と、思いました。
1920年代?の楽器から、あんなイベールを紡ぎだせるということ自体、いや、1920年代の楽器を吹いたことがないからわかりませんが、昔の演奏家たちのほうが、ある側面においては楽器のコントロール能力は現代よりも高いのかもしれません。
楽器の音程が良いとか、キー配置がコンパクトだとか、そういう方向に楽器がシフトすると、楽器とのお付き合いがますます表面上のものなってしまい(簡単な訓練で音を出せてしまう)、楽器そのもののコントロール能力が低くなっていきそうですね。