2008/08/23

ラーションの「協奏曲」を聴きつつ

今日はつくば市の洋菓子屋さん、コートダジュールで演奏。もう3回目になるが、ピアノとサックスで、3~4人くらいで出かけて行って、ローテンーションしながらBGMっぽく演奏するのだ。アルトをこれだけ長い時間吹いたのは久々で、口が少し疲れた(´д`)ううー

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ラーシュ=エリク・ラーション Lars Erik Larssonの「協奏曲 Konsert」。結構好きな曲で、頻繁に聴いたりもするのだが、この曲を通して聴いていると、第1楽章のヒロイックな感じとか、第3楽章の新古典主義的でもありつつコミカルな感じも良いのだが、やっぱり雄大な第2楽章に曲中の重心が置かれているような気がする。サックスがアルティシモの領域まで駆け上がって、長音を伸ばしきるところなど実に感動的で…。

はじめて聴いた時は、むしろ第1楽章に立ちはだかる圧倒的なフラジオの壁みたいなものに、耳が吸い寄せられたものだが、それに慣れてくると、今度はその超高音域を使用してどんな世界が表現されているか、という方向に頭が働いてくるのですな。当たり前といえば当たり前だが。

ラーションの、アルティシモの使い方は筆舌に尽くしがたい。基本的には巡航速度なのだが、曲中のここぞ!という瞬間のアフターバーナー。イベールのような「飛び道具的」というのとも何か違う、楽曲の構造中に、計算されてフラジオが組み込まれているのだなあ。

シガード・ラッシャー演奏のラーションを聴いている。第2楽章の雄大さなどは、言葉を失う。第1楽章と第3楽章のカデンツァにおける圧倒的なヴィルトゥオジテ。そして最後の最後、驚くべきことに拍手が入っている。この完成度の高い演奏は、なんとライヴ録音なのだ…。

そういえば、ラッシャーもそうなのだが、ジョン=エドワルド・ケリーのラーションの録音で、フラッタータンギングとスラップタンギングとに驚いた方もいるかもしれない。しかし、これは何となく演奏しているわけではなく、独奏パートの楽譜を弦楽器的に捉えれば、トリルよりもトレモロ(フラッター)のほうが自然であるし、スタッカートよりもピッツィカート(スラップ)のほうが自然である…そういったラッシャー派の研究の結果によるものなのだ。

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