2008/05/29

姜泰煥×高橋悠治×田中泯×斉藤徹(ブレス・パッセージ2008)

忘れないうちに、このインスピレーションを書き留めておかねばならない。

【ブレス・パッセージ2008~呼吸の流れ~】
出演:姜泰煥(sax)、高橋悠治(pf)、田中泯(dance)、斉藤徹(bass)
日時:2008年5月29日(木)19:00開演
場所:つくば市カピオホール
プログラム:即興

開演からおよそ45分間に渡る即興、そして15分の休憩を挟んでその後も45分ほどにわたる即興、という舞台。

各奏者の技巧レベルは、想像を絶する。サックスという楽器、ピアノという楽器、コントラバスという楽器の、例えばクラシックだったりジャズだったりで使用される用途の臨界点は、本日の舞台上では意味をなさない。例えば斉藤徹のベースは、アコースティック的な奏法から、かなりにパーカッシヴな奏法までをも駆使し、見事にコントラバスという楽器の地平線を描き出す。高橋悠治のピアノは、奏法こそ通常のものだけれど、クリスタルのような美しいタッチで、全体のカラーを支配していた。姜泰煥のサックスは、循環呼吸を多用し、おおよそ10分~15分にわたるセクションを息継ぎなしで吹ききるというもの。弦を発音媒体とする楽器に比べて、自己主張が強いと感じたのは私だけではないだろう。

即興は、近年見られるようなスタイリッシュなものとはまるで違う。各人がお互いを伺いつつも、方向性を取り込もうとしながら、時に周りを気にかけずに前進するという趣。田中泯のダンスは、ダンスというよりもむしろアクトといったほうが近いかもしれない。音に合わせようとするわけではなく、田中は田中で自らの世界を作り出しながら(擬態的な動きが多い)、音とぶつかる場所に生まれるものを探っているように見えた。

第1部は、姜泰煥の循環呼吸を利用した長大なフレーズに引き続いて斉藤徹が入場。何気なしに弓で弾き始めたコントラバスに、高橋悠治の"イス"が絡む。田中泯は意外なほどに前面に出てくることが少ない。ロングコートに身を包んで、じっと舞台後方を闊歩していた。ピーンと張り詰めたテンションの中、時に盛り上がりを見せ、時に静寂ともつかぬような瞬間が現れる。

休憩後、第2部は4人がいっせいに動き始めるが、およそ30分間の即興を総べるかと思える、炎のような怒涛のクライマックスを経て、姜泰煥が退場。そのまま、急速調のコーダに突入し、斉藤のベースと高橋のピアノが我が物顔でビートを打つ。そのどこまでも引き伸ばされ続けるコーダに、誇張ではなく鳥肌がたち、涙してしまった。コーダ2とも言うべき最後のセクションでは、ピアノとダンスがぼやけた応酬をし、末尾では高橋悠治のごく短いソロが奏でられた。

大きな拍手。そうだ、今日は姜泰煥のツアーの千秋楽だったのだった。この公演がつくば市で実現したというのは、驚き。しかも意外と客入りが良く(どういった客層だったのだろうか)、舞台も実に強烈なものであったのだから…。

これだけもの凄いものを聴いて(観て)しまったときに、果たしてクラシックやジャズの存在意義はどこにあるのだろう、と余計なことまで考えてしまう。完全即興という、内向きと外向きの極限の集中力を使用するジャンルにあっては、奏者・聴衆ともに、必然的にひとつ上の次元へいざなわれていくのだ。こういったものを聴いた後に、弛緩した音楽など聴けるはずもなく。今日は何も聴かずに静かに眠るとしよう。

(追記)

そういえば、サブタイトルに「変わらないもの、それは変わろうとする意思」とあった。即興にも明確なセクションがあることは容易に判るのだが、その次のセクションへと移り変わる意思の源泉は、どこに存在しているのだろうか。どのように発芽して、どのように伝播していくのだろうか。

基本的にはもちろん耳を使うことはもちろんなのだろうが、このレベルまで来ると、ある種のテレパシーのようなものが、流れを支配しているとさえ思えてしまうほどだ。

4 件のコメント:

  1. kuriさん おはようございます。

    姜泰煥(カン・テーファン)さん、
    福岡で1度ライプを聞いて以来ファンです。

    循環呼吸・重音・・というと現代奏法ということになりますが、西洋音楽の枠の中でその延長として使う奏者・作曲家が多いと思います。(フリージャズor現代音楽として)

    姜泰煥さんの場合は西洋と全く関係のないアジア的な音色・音程を表現しています。
    日本で言う”ひちりき”の音です。

    こういった本当の意味でオリジナルな方は
    サックスでは他に知りません。世界でも最高峰の一人だと思います。

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  2. > donaxさん

    コメントありがとうございます。なるほど、姜泰煥さんのサックスを聴きながら、ジャズにしては変な音色で、何を表現しているのかわからないまま最後までいってしまったのですが、なるほどそういうことですか!!確かに、アジア的な音色と音程を表現していたと言われれば、納得です。

    毎度のことながら、donaxさんの考察は、さすがですね。私にとってはセンセーショナルなことばかりです。

    私のように限られたジャンルの音楽ばかり聴いていると、変な思い込みが発生してしまってダメですね(笑)。記事の感想に、姜泰煥さんのことを触れている部分が少ないのはそんなわけでして…もったいないことをしてしまったなあと思います。今度の来日の際には、ぜひもう一度聴きにいってみたいです。

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  3. >kuriさん

    kuriさんの聞いている範囲は驚異的に
    幅広いと思いますけど・・(汗)


    姜さんですが、普通のジャズもきちんと勉強した方です。

    サックスのケースにサインをもらった時
    Buffet(S1でした)だと言うとクラリネットはBuffet持っていたと言ってました(英語で)。
    すごく穏やかで品のある韓国の方です。

    セルマーM6にセルマーのマウスピースでした。大変暖かい音です。

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  4. > donaxさん

    > 普通のジャズもきちんと勉強した方です。

    へえー、そうなんですね。表現力を突き詰めていき、極限の世界を創り上げることに信念を燃やす方向に走った、ということなのでしょうか。しかし、凄かったです。

    楽器を吹いているときの壮絶な気迫と、終演後にカーテンコールを受けてもう一度舞台に現れたときに湛えていた微笑みの、そのギャップがいまだに忘れられません。まさに、品のある微笑み、という印象です。

    楽器はMark VIだったのですね。姜泰煥さんのやりたいこと、に楽器がしっかりと応えていたような感じがしました。

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