2007/11/06

ミュールが考えていたこと

私の両親はとても音楽に理解がある人たちだ。私が学生という身分でありながら、音楽を続けていられるのは、父と母のおかげだと思っている。父は、このブログを定常的に読んでおり、時々ブログの内容についてメールや手紙をくれるのだが、今日受け取った手紙の中に、ミュールに関する、とある父の考えが書いてあったので、少し膨らめつつ記しておきたい。

「1901年に生まれ、1930年代より頭角を現し、第一線の音楽家として活躍する。1958年にソロ活動引退、1967年に四重奏を解散、1968年に教授職を引退、以降サクソフォンを吹くことはなかった。2001年に逝去」というのは、言わずと知れたサクソフォンの神様、マルセル・ミュール Marcel Mule氏が辿ったタイムラインである。ミュールはこの70年弱の間に、演奏、録音、教育の分野でさまざまな功績を残した。たとえば、サクソフォンに豊かなヴィブラートを取り入れ、クラシック楽器としての定義を確立し、SATBの四重奏という形態を室内楽の編成として位置づけたことは、サックスを吹いているものならば知らぬものはいないだろう。さらに、さまざまなオーケストラへの独奏者としての客演、何十枚ものレコーディング、パリ国立高等音楽院教授としての後進の育成…宮島基栄がエッセイの中で述べているが、はたから見れば「やりたいことはすべてやってしまった」というふうである。そう、私たちの目から見れば、1968年の完全な引退までに、自分がサクソフォンを通してやりたい音楽は、すべてこなしてしまったのだろうと思える。

ミュール本人は、引退直前にどう考えていたのだろう?当時世界最先端のサクソフォン教育を行っているパリ音楽院教授のこと、サクソフォンという楽器に宿る無限の可能性を知っていないはずがない。それを知りながら、敢えて1968年で引退したのは、やや不可解にも映る。音楽界を見渡せば、ポスト・モダンにすら突入していない時代であり、かつサクソフォンの世界に至っては、モダニズムにすら飛び込んでいない(サクソフォンがモダニズムの世界へと足を踏み入れるのは、1970年のデニゾフ「ソナタ」まで待たなければいけない)。ミュールはモダン・ミュージックを見ていなかったというのか?いや、そんなはずがない。それならば、なぜサクソフォンにモダン・ミュージックを取り入れるのを待たずに、引退してしまったのだろう?

単純な趣味の問題、という話もあるが、どうだろう。「難しいことを追い求めるな、易しいことを追い求めよ」というミュール自身の言葉からは、彼が持っている往年の「趣味の良さ」的雰囲気を感じ取ることができる。確かにゲンダイオンガクには手を出さなさそうなイメージ…。モダン・ミュージックを知ったころには、テクニック的な問題から取り組むことができなかったのか?うーん、それでも、ダルムシュタットは1947年からだし、それを考えるとミュールが特殊奏法に取り組まなかったのは、ちょっと不思議だ。

もちろん、モダン・ミュージックに限った話ではなくて、引退せずに音楽活動を続ければ「当時サクソフォンの『可能性』と呼ばれていたものを、ミュールが自身の手によって現実化することができただろうに…」というのは、誰しもが思うことだ。

…思うに(ここからが父の考えの受け売りだが)ミュールは、続く世代のためにサクソフォンの可能性を可能性のまま「手をつけずに残しておいてくれた」のではないか。自分がやるべきことはやり、これから発展する可能性のあるものはあとは若い世代へと託したのではないだろうか。父の手紙の中からそのまま引用すると、きっとミュールはこう考えていたに違いないと:「さあ、わたしはここまでやってきた。次は君たちの番だよ、私のやってきたことを存分に吸収して、次に君たちがサックスの世界をもっと広げていってほしい」

うん、きっとそうなのだろう。きっとミュールは、当時のサックス界だけでなく、次の世代、次の次の世代までをも、一気に見通した上で自分の音楽活動をリタイアしたのだ。それはすなわち、続く世代は誰もが、ミュールの期待を背負いながらサックスを吹いている、ということになるだろうか。

天国のミュール先生、今のサックス界をどう感じていますか?あなたが残しておいてくれたことに、我々は到達することができたのでしょうか?それとも…

3 件のコメント:

  1. 素敵なお父さんですね。ブログに関してそんなコメントをいただけるなんて。
    僕は直ちに削除せよといった手紙しかいただけないのでうらやましいですw

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  2. 宿舎風呂耐久、みたいな記事を書いたら、ウチの父も黙っていないと思います(笑)。

    冗談はさておき、私の音楽好きは父から影響を受けていることが多いのです。実家には、何枚ものクラシックのLPレコードがあるのですよ。トスカニーニの「ローマの祭」も一番最初はウチの父に聴かせてもらったのでした。

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  3. まさにその親会ってその子ありですねw
    今から子供が楽しみです!

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