2007/07/07

未来を教えてください

クラシック・サクソフォンの未来について、時々考えることがある(私のような一アマチュアが思いを巡らせたところでどうしようもないと言えば、そうなのだが)。楽器そのものが持つある意味での脆さ・不安定さは、そもそも折衷楽器として生を受け、急速な発展を余儀なくされてきたサクソフォンならではの特徴だ。すでに楽器として完成されている鍵盤楽器、弦楽器、打楽器、多くの管楽器に比べ、サクソフォンの未来は不確定な要素が多すぎると感じる。

・楽器
サクソフォンの操作性の向上は、数々の管楽器メーカーのたゆまぬ努力の賜物だ。オクターブキーの統合、同時押しキャンセル、人間工学に基づいたキー配置。また、金属加工技術の進歩により、様々な素材、そして形状の管体が登場してきた。各メーカーが特徴を打ち出しながら、特徴的なサクソフォンをいくつも発表している。

現在はコンピュータで管体形状を設計していると聞くが、さらに響きを追い求めた理想的な形へ近づいていくのだろうか。また、管の溶接、組み立て等、調整などは、現在では職人技的な部分に頼ることがほとんどであるが、オートメーション化される日が来るのだろうか。楽器が個性を捨て去る日は、果たしてやってくるのか。最近の傾向として、クラシック用の楽器(セルマーのSerie3, ヤマハの875)と、ジャズ用の楽器(セルマーならReference、ヤマハの82Z)に分化していく流れがあるが、このままそれぞれの機種は違う道を歩み始めるのか。マウスピースやリガチュア等、小物のことまで考え始めると、さらに考えは膨らむ。

・スタイル(音色)
クラシカル・サクソフォーンの大きな特徴である「音色」は、世界各地に分布するスタイルとともに存在するものだと言える。「フランス・アカデミー派」「イギリス・ギルドホール派」「ネイティブ・アメリカ派」「ラッシャー派」「日本のやや没個性派」等、様々な派閥が存在し、まず統合されることはないのではないのだろうか。教育レベルで対外的に閉じた国ならばまだしも、同一国内で複数のスタイルが存在する場合、少数派は淘汰される方向に向かうのではないだろうか。現在、アメリカにおけるラッシャー派は、どのくらいの割合を占めているのだろう。

また、各スタイルは時代とともに進化している。例えばフランス。ミュールやデファイエに比べて、作品の多様化やヴィルトゥオーゾの出現に合わせて、ドゥラングルの時代はスタイルに革命的な変化が起こったとも言える。

アジア圏のサックスは発展途上だが、これから先どうなるのだろうか。横目でチラチラ見ておかないと、気が付いたときには大勢力、ということになりかねない。少し入ってくる情報では、主にフランスアカデミーとの交流が頻繁に行われているようだが、今後は輸入がメインとなるのか、それとも独自のスタイルを確立していくのか、興味あるところだ。

・次代の才能
いつになったらミュール以上の才能が出現するのだろう。各スタイルの内部では、10~20年単位で見れば稀な才能が出現しているとも言えるのだが、そうではなく、世界全体のサクソフォン界を席巻してしまうような、素晴らしい才能…21世紀のヴィルトゥオーゾを心待ちにしている。

地球の裏側にはほんの数秒あれば情報が届く現在、インフラ的な問題は皆無である。しかしそんなスーパーマンが現れるのは、100年後か、200年後か。

ピアノやヴァイオリンと違って、楽器それ自体の完成度が低いことがあり、幼いころからの研鑽を積むことができないことにも、実は関係があるのかもしれない。ある程度身体がしっかりしてこないと、音を出すことすらままならないからなあ。

・レパートリー
サクソフォンには、バッハやモーツァルトの曲がない。古典~ロマン派の曲がレパートリーが存在しないことで、クラシック音楽の「名曲」として存在する作品は、わずか数点を数えるのみである。フランスのネオ・クラシカルな作品は、1970年代以降のもので、レパートリーとして定着したものは少ない。もっぱらミュールが委嘱した作品群に依存している感は否めないところだ。

デニゾフ「ソナタ」の出現以降、現代音楽(モダンな音楽)としてサックス界に投げられた作品は多い。単純にピアノとのデュオやサックス四重奏だけの形態にとどまらず、テープとサックス、声とサックス、その他、様々な試みがなされている。興味深い作品が多いのは事実だが、一般的に受け入れられるか…と言われると、首をひねりざるを得ない。

世界中でクラシック・サクソフォンの認知が進むにつれて、様々なサクソフォン音楽が書かれつつあるが、そんな中から世界レベルでレパートリーに定着するような作品が出てくることを、期待したい。

・中高吹奏楽部の現状
多くのプレイヤーが、サクソフォンに触れるきっかけとなる場であるが、コンクールに傾倒した"吹奏楽部"という場では、なかなかサクソフォンを音楽的な勉強をする機会は訪れることがない。せいぜい、四重奏をプロの方にレッスンしてもらうとき、位のものだろうか。

また、吹奏楽のなかでサクソフォンを吹いているときに、面白さを感じられる、というのはなかなか中高生のころでは無いのではないだろうか。様々なバックボーンがあってこそ、吹奏楽の中での愉しみを見つけることができるのだと思う。サックスの演奏に魅力を感じない学生が、吹奏楽部の引退と同時にやめてしまう、というのは、ちょっと悲しい。

…うーん、「中高吹奏楽部の現状」は、もう少し書き足すかもしれない。

・総括
白石美雪教授の言葉を借りれば:
「現代というこの時代は、サクソフォン音楽は未来へつながる始まりに位置しているのか、それとも終焉期に位置しているのか」に尽きる。サクソフォンはこれからどの方向へ向かっていくのだろうか、それとも、このまま収束(もしくは、多様になりすぎて発散)してしまうというのか。

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