2007/05/24

本物のピアソラを聴く

クラシックサックスが好きで、ピアソラも好き、という人って、結構多いんじゃなかろうか。それはもちろん、全然別のジャンルとして聴き始めたという人もいるだろうけれど、クラシックサックスの奏者がピアソラへのオマージュとして製作したアルバム…例えば須川さんの「Cafe 1930(EMI)」やアウレリア・サクソフォン四重奏団 Aurelia Saxophone Quartetの「Tango Nuevo(Etcetera)」「Two to Tango(Challenge Classics)」によってピアソラ音楽の魅力を知り、はまっていった方が多いのではないかと、推察する。そういう私も、クラシックサックス関連のアルバムからピアソラを知ったクチである。

私のピアソラ入門は、トルヴェール・クヮルテットのアルバム「トルヴェールの四季」だった。(ヴィヴァルディ原曲の四季をそのままサックス4本+ピアノに置き換えたとばかり思っていた)タイトル曲「トルヴェールの"四季"」があまりにもな編曲でガッカリし、一方でタイトルすら聞いた事のなかった「ブエノスアイレスの四季」の、あまりのかっこよさに惚れた…のが、ピアソラとの出会い。続いて、ヨー=ヨー・マの「Soul of the Tango」だったっけ。今考えてみるとなんであんなものに深く心酔していたのか、今となっては良く分からないが、これにもどっぷりとはまっていた。

ピアソラ自身の演奏に触れたのは、だいぶ後だ。当初はクラシック屋の演奏する洗練されたピアソラの音楽に慣れていたため、面食らったの何の。がしゃーん、どかーん、テンポは揺れるは、メロディはごちゃごちゃ、不協和音の連続。名盤とされている「Tango Zero Hour」も、一体これのどこが良いのか、全く分からなかったものだ。一時は、「ピアソラ自身の演奏よりも、クラシック奏者が演奏するピアソラ音楽のほうが、洗練されていて好きだ」などと大声でわめいていた時期もあったっけ。

ピアソラ自身の演奏する自作タンゴをきちんと聴き始めたのは、ごく最近だ。たまたま観たモントリオールのライヴDVDのあまりの壮絶さとカッコよさに、虜になってしまったのだ。そこには、ジャズ・ロック・クラシック・現代音楽の全てを吸収した、ピアソラ自身の音楽があった。音楽を聴きながら、言葉を失うことってたまにあるけれど、まさにそんな感じ。「AA印の悲しみ」の長大なバンドネオン・ソロ、「チン=チン」のピアノ・カデンツァ、「天使シリーズ」のヴァイオリンと、挙げていけばきりがない。「AA印の悲しみ」なんか、何度聴いても、最終部で胸が締め付けられるような強い感動を覚える。

クラシック奏者が取り上げるタンゴもどきに初めて触れてから数年、いつの間にピアソラの自演を「好きだ」と思えるようになったのだろうか。音楽全般に対する聴き方が変わってきたのか。

何が言いたいかというと、「Soul of the Tango」聴いたくらいでピアソラの音楽をわかったつもりになっちゃいけないぞ、ということ。ピアソラの音楽は、彼自身による演奏"のみ"によってしか、ピアソラ音楽たりえないのだと、最近気付かされ、その思いを強くした。自演を離れた瞬間に、もはやピアソラではなくふつうのタンゴになってしまうのだなあ。

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