第39回ジャパンサクソフォーンフェスティバルにおいて、「現代に至る日本のサクソフォーン界の系譜と、日本に影響を与えた世界の奏者たち」と題して、常設ポスター展示(できれば映像展示も‥)を実施予定。鋭意制作中(果たして間に合うのか)。
2023/02/12
2023/02/06
野平一郎サクソフォン作品個展(ドゥラングル氏来日)
【野平一郎 サクソフォン作品個展 クロード・ドゥラングルを招いて】
日時:2023年2月6日 18:30開場 19:00開演
会場:浜離宮朝日ホール
出演:
クロード・ドゥラングル(サクソフォン)
オディール・ドゥラングル(ピアノ)
湯川亜矢子(メゾソプラノ)
ホセ・ミゲル・フェルナンデス(電子音響)
片桐健順(音響)
大石将紀、江川良子、貝沼拓実、本堂誠(サクソフォン四重奏)
曲目:
野平一郎「アラベスクIII」
野平一郎「サクソフォン四重奏曲」
野平一郎「舵手の書」
野平一郎「ひとりぼっち」
野平一郎「フォリア・コン・ファンタジア」
野平一郎「息の道」
野平一郎氏の、10年プロジェクトの一環として企画された演奏会だという。昨年の同時期に流れたときには残念に思ったが、一年越しでこうして無事開催されたことが嬉しい。
私はといえば、コロナが流行り始めてからリアルの演奏会に伺うのは初めてだった。いや、そもそもこれだけの規模の演奏会には、転職後に仕事場が都心から離れたこともあり、平日には全く伺えてなかった。調べてみたところ、出演・企画したものを除くと、演奏会をしっかり聴くのは2018年のクロアチアの世界サクソフォンコングレス以来だったかもしれない。
ドゥラングル氏の極めてしなやかな音色・音運びは健在で、一部には僅かなミスも見受けられたものの、曲ごとの異なった音世界を表現する力には目を見張る。このように野平氏の作品を連続して聴いて気付かされたことだが、サクソフォンを単音の旋律楽器として捉えるのではなく、サクソフォンの一つ一つの音に「音響」を見出して、それを聴き手に気付かせるように、テーマに基づいて展開・発展させる手腕こそ、"野平氏✕サクソフォン"のオリジナリティといえるのであろう。その作品の佇まいには、ドゥラングル氏の演奏スタイルがぴったりだ。
「アラベスクIII」では意外と控えめなテンションだったが、そういう作品のひとつの側面を引き出したといえば納得。かと思えば独奏曲「フォリア・コン・ファンタジア」での絶妙なコントロール…で通すのかと思いきや、狂騒・狂気(そもそもフォリアは狂気という意味だし、変奏曲は狂気の塊のような音楽だと私的に思う)といったキャラクターをも見事に体現するような、変幻自在さでも魅せた。
共演者も素晴らしい仕事をしており、オディール氏のピアノが、こんなにもダイナミックなものだったかと驚かされたり、湯川氏のメゾ・ソプラノは、これまで聞いたことのある演奏とは少し外した解釈で、テアトル的な雰囲気を面白く聴いた。大石氏を始めとする四重奏メンバーも高次元の仕事をしていて、個人的にはとてもホッとする"日本的な"響きだった。
最後に、メイン曲として演奏された「息の道」…30分を越える大作にして、類稀なる傑作である。これまで2012年7月のイギリス初演と、2012年10月の日本初演を聴いたことがあるが、聴く度に新たな発見がある。完璧にコントロールされた音響、そして、完全なるサクソフォンの演奏を聴くことは、この作品の新たな側面を表出させる。イギリス・セントアンドリュース、Byre Theatreで、熱に浮かされたような会場の空気感の中で聴いた演奏が、私の中でのベースライン。音響の面では荒削りではあったが、特別なものがあった。そこに、静岡音楽館AOIや、本日浜離宮で聴いた演奏が、衛星のように取り巻いて、この作品の個人的印象を形作っている。
帰りがけに撮った朝日新聞の社屋。
2023/02/05
ミュール氏から阪口新氏への手紙(1988年)
マルセル・ミュール氏から、阪口新氏に宛てた直筆の手紙。1988年の第9回サクソフォン・コングレス(神奈川県川崎市開催)への招待に対する返信である。冨岡和男氏にお借りした資料に含まれていた。
招待への謝意とともに、当時すでにかなりの高齢であったミュール氏が、長旅が難しく残念ながら参加を断念せざるをえないことが書かれており、併せて、1984年の訪日(第1回日本管打楽器コンクールの特別審査員として招聘)への礼が述べられている。
2023/02/04
デファイエ氏演奏のグラズノフ「協奏曲」
おなじみニコラ・プロスト氏のアップロードによるもので、ダニエル・デファイエ演奏のグラズノフ「サクソフォン協奏曲」。Serge Baudo指揮ニース放送管弦楽団との共演。この音運びは、様々な録音で聴いたデファイエ氏の音色、音楽、そのもの、であり、夢にみたグラズノフのこの曲の演奏を聴くことができて、感激だ。
プロスト氏は、近年フランス周辺の歴史的録音を数多く発掘しており、一部はCDとして復刻しているが、ぜひ今後も続けていただきたいと思う。
最終部が突然にカットされていることに驚かされたが、プロスト氏によれば、おそらく放送前の「編集によるミス」ではないか、とのこと。また、三國氏によれば、ミュール氏がそのようにカットしており、それに倣ったためではないか、とのこと(確かに、ミュール氏自身の演奏も同様に最終部をカットしている)。