2014/03/03

ムッシュ・クダッチSAXオーケストラ&東京サクソフォンアンサンブル再結成

いやー、本当にすごかった。感動。今日の演奏を聴くことができた幸せ!

【Monsieur KUDACCHI ~サクソフォンの世界~】
出演:国立音楽大学学生、クダッシSAXオーケストラ、東京サクソフォンアンサンブル(ゲスト)
日時:2014年3月3日 18:30開演
会場:小金井市民交流センター・大ホール
プログラム:
W.A.モーツァルト/奥野大樹 - ディヴェルティメントK.136
E.グリーグ/奥野大樹 - 組曲「ホルベアの時代から」第1,2,5楽章
A.ドヴォルザーク/阪口新 - 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
平部やよい - 倖せヲ呼ぶ嶌(委嘱作品・世界初演)
J.S.バッハ - G線上のアリア(アンコール)
F.シューベルト/野村秀樹 - 交響曲第7番「未完成」
F.メンデルスゾーン/各川芽 - 交響曲第4番「イタリア」

一曲目は、国立音楽大学の学生のラージアンサンブルによる演奏。奥野大樹氏による編曲は、今回のために書き下ろされたものとのこと。音を細く、スタイリッシュに古典作品をこなしてしまうあたりは、最近のサクソフォン演奏の傾向を思い起こさせる。下地氏は、暗譜での指揮。教育者としての眼差し、自身が音楽が好きだという心持ちが同居しているような指揮であった。

短い休憩を挟んで東京サクソフォン・アンサンブル!私自身は、リアルタイムでこのカルテットの演奏に触れられた世代ではない。グラモフォン(日本ポリドール)から出版されていたEducational Seriesの一枚を聴いたことがあるだけである。その印象のまま聴き始めたのだが、良い意味でそのイメージが崩壊することとなった。

凄まじい響き。四本のサクソフォンが同時に鳴った時の、音色の差分から創り出される、ストップを駆使したオルガンのような多彩な音色。ソロとして響き渡るフレージング…。言葉でその特徴を言い表すのは難しいが、鮮烈だった。日本にこんなサクソフォン・カルテットがいたのかと、感じ入った。こんな演奏聴かされたら、恐ろしくて縮み上がってしまって、自分でサクソフォンを吹けなくなってしまいそうだ。

「アメリカ」は、東京SEが、その活動休止前に頻繁に各所で演奏したレパートリーとのこと。各人の妙技を堪能するのにもってこいの曲だった。勝手ながら、各奏者の印象を…。佐々木氏のバリトンは…実にアグレッシヴで、ベースとしての支えを超えた立ち回り(ルデューってこんな感じだったのかなあ)。市川氏のテナー、バリトンとともに低音域を張り、さらに随所に現れる旋律の歌い方の見事さ。下地氏のソプラノは自由闊達。ヴィブラートを効果的に利用しての、長音での美しさ。宗貞先生のアルトは、音量こそ控えめなものの、音の密度やフレージングの強靭さは、日本人離れしている。細かい仕掛けもありつつ(本人たちは仕掛けているつもりもなく、という感じだろうが)、最終楽章まで素晴らしい演奏だった。テクニカルな面での聴きづらさは微塵もなく、客席を興奮の渦に巻き込んだ!

続く平部やよい氏の新作は、作品として実に面白く、さらに「アメリカ」以上に技術的に突き抜け、ややコンテンポラリー色にも踏み込んだ内容。「4つの自我」「Dice」等と並ぶ傑作だった!その譜面をものともせず、えっ、そんなに吹いて大丈夫なの!?と要らぬ心配をしてしまうほどの、さらに白熱した東京SEの面々。一筋縄ではいかない…。アンコールな「G線上のアリア」。あと10年は余裕で吹き続けられるのではないか。本質の演奏が最後だったとのことだが、最後であることを残念に思いつつもこの貴重な機会に臨席できたことを嬉しく思うのだった。

休憩を挟んで、下地氏指揮のサクソフォン・オーケストラ。シューベルトの「未完成交響曲」は、野村秀樹氏による編曲で、指揮が下地氏、さらにソプラノ滝上先生、アルト宗貞先生、テナー市川氏、バリトン佐々木氏をソロ・パートとして配置した、サクソフォンオーケストラの編曲。ここでまた東京SEの音を堪能できるというのも感動だったが、それ以上に、下地氏によって引っ張られていく、大きなうねりがなんとも心地よく、普通のサクソフォンオーケストラにはない響き(それが具体的に何であるかを言い表すのは難しいのだが)を楽しんだ。メインの「イタリア」は、各川芽氏による編曲。もちろん全曲版。祝祭的な雰囲気を湛えて、こと急速楽章では高音域から低音域まで、見事な連携にしびれた。ベテランから若手まで、それぞれのプレーヤーが、そして何より指揮の下地氏が、「サクソフォンオーケストラ然」からの脱却を試みているようにも見えた。ロンド楽章は圧巻。今回、クダッチSAXオーケストラを聴きに来るきっかけとなったのは東京SEだったが、また聴いてみたいなあ。

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