2012/12/06

ユージン・ルソー氏トーク内容メモ書き(前半)

先日行われたユージン・ルソー トーク&ミニコンサートでのトーク内容のメモ書きを(長くなりそうなので前半・後半にわけて)アップ。聞きながら書いたため、間違っている可能性もありますのでご承知おき下さい。

Thunderさんもご自身のメモ内容をアップされています

【サクソフォン人生のこと】
* 幼少時代~キャリア初期の写真
- 幼少時代の家
o イリノイ州ブルーアイランド
- 初めてサクソフォンを手にした数年後(1942年)
- 高校時代(1949年)
- EU Trio(1951年)
o 大学時代に組んでいたダンス・ミュージックを演奏するためのバンド。そこそこ稼いだ
- マルセル・ミュールと(1961年)
o ルソー氏の後ろにはベートーヴェンの肖像が掛かっている
* サクソフォンとの出会い~パリ留学
- 7~8才のころ、近所の男の子がサクソフォンを練習しているのを聴いて、その音に魅せられた
- 両親にねだったところサクソフォンを買い与えてくれたのだが、近所の男の子は金色の楽器、買ってもらったのは銀色の楽器だったので、泣いてしまった
- 中学までは音楽orサクソフォンを専門的に学ぶことはなかった
- 高校から、トロンボーン奏者の先生について音楽を習った
o あるときコンクールで取り上げるために先生が曲名を書いてくれた
o シカゴの大型楽器店まで行って、店員に曲名を見せてこの楽譜が欲しいといったところ、本当かと驚かれた
o そこに書いてあったのがイベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」
o 店員がミュール演奏のイベール演奏が収録された78回転のSPを薦めてくれたため、購入。演奏に魅了された。
- 28歳の時フルブライト給費生としてフランスへ。"Change My Life"

ルソー氏が幼少時代を過ごしたという家の写真。スライドに住所が映されていたのだが、Google Mapに住所を打ち込んだらストリートビューで探すことができた。住んでいる人はもちろん変わっているのだろうが、家自体はいまでも変わらずその場所にあるらしい。



【新しいサクソフォンを目指して・ヤマハとの出会い】
* ヤマハとの出会い
- パリ留学時代、アパートで練習できなかったため、近くのLeblancの工場で練習させてもらっていた
- Leblanc工場の近くにはウヴナゲール?という名前の音響学者が住んでおり、練習しに行くといつも話しかけてきた。「何々を知ってる?」と聞かれ、知らないというと「それはね、云々~」という具合。
- YAMAHAは、当時新型サクソフォンを開発するためのテスターを探していた
- ルブランUSAの社長Vito Pascucci氏が、ルソー氏を、YAMAHA社長の川上源一氏へと紹介
* YAS-62の開発
- 当時の最上位機種YAS-61の印象として書かれたメモ:Good feature, Good quality...will it be improved
- YAMAHAと協業できたことは幸運だった
o 設備も素晴らしく、働く人のやる気も高い
- 写真
o 手書きのサクソフォン設計書
o 目隠しをしてサクソフォンをテストするルソー氏
o 音ごとの音程グラフ
o 黒板に書き付けられたメモ
- ルソー氏が考えるサクソフォン設計において重要な3つの要素
o Intonation(音程)
o Air(エアー)
o Embouchure(アンブシュア)
- Pitchを補正する→Tuningを行う→Make intonation by using good air and embouchure
* 雲井氏コメント
- 音程チェックのテストはとても大変だった
- ルソー氏とのコラボレーションも、非常に刺激的だった
- 自分の意見が新製品の開発に生かされていることが、非常に良い経験だった
* 石渡氏コメント
- ピアノの永井氏?が行ったコンクリートで作れば一番良く響く、という言葉が忘れられない
- ルソー氏の演奏は銀座中央会館でのリサイタルで初めて聴いた
- インディアナ大学へは研究員として6ヶ月間留学
- 後年、ルソー氏が有給休暇(アメリカの大学教員は6年ごとに1年間の有給休暇を取得できる)を取るときに、半分の6ヶ月間だけ特別講師として赴任。破格の2万ドルをもらった
- 62の開発には5年間を費やした

【世界の偉大な音楽家との出会い】【若きサクソフォン演奏家へのメッセージ】については、後日、別の記事として書く予定。

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