2012/05/06

ウッチ国際サクソフォンコンクールと本選課題曲

小川卓朗さんが参加される、という話を聞くまでは完全にノーマークだったのだが、かなり大きい規模の国際コンクールだったようだ。4月27日から5月4日まで開催された、Lodz SaxFest 2012という催しのなかで、最も大きなイベントとして扱われていた。コンクール以外にもマリオ・マルツィ氏、ジェローム・ララン氏、マイケル・クレン氏(前回コンクール優勝)らの演奏会が開かれていたようだ。

コンクールはジュニア部門とシニア部門が同時開催され、メインとなるシニア部門:GRUPA IIは、優勝がスペインのシャビア・ラーション=ペス Xavier Larsson-Paez氏(小川さんの友人でもある)であり、小川さんは第4位であった。日本人の国際コンクール上位入賞は久々のことで、嬉しくなってしまった。

多くの情報は、すでにtfmさんのブログにてまとめられている:
要項:http://saxastfm.blog.fc2.com/blog-entry-228.html
本選出場者について:http://saxastfm.blog.fc2.com/blog-entry-233.html
本選結果:http://saxastfm.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

また、ウッチ音楽院の公式ページサクソフォンフェスタのFacebookページから公式情報を参照することができる。

さて、本選の課題曲は、Roman Palesterという作曲家の小協奏曲(Concertino)である。パレスター(という読みで良いのかな?)は、ウッチ国際サクソフォンコンクールが開かれたポーランドの作曲家である。1907年に生まれ、ポーランドのクラクフ音楽院で勉強を始め、後にワルシャワ大学を卒業している。その後、パリ、ミュンヒェンなどにも移り住んだ。サクソフォン小協奏曲を書いたきっかけには、やはりシガード・ラッシャーが深く関係していたようだ。

1936年の春、スペインのバルセロナで開かれた第14回International Society for Contemporary Music (ISCM) Festivalで、パレスターとラッシャーが会ったのではないかという説が濃厚であるようだ。パレスターは自作のバレエ音楽の初演に立ちあうためにこのフェスティバルに参加し、またラッシャーはイベールのコンチェルティーノ・ダ・カメラと、アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲の初演に参加していたという。この時パレスターとラッシャーが会ったことを示す資料は現存していないが、その可能性は高いと考えられる。

1938年の夏、パレスターはフランスのコルシカ島に滞在し、この小協奏曲を完成させた。1938年の11月、パレスターはラッシャーに宛てて次のような内容の手紙を送っている。

ずっと前、私があなたのために協奏曲を書きたいと申し上げたことを、覚えていらっしゃいますか。幾つもの作曲プロジェクトをこなさなければならず、ずっと取り掛かることができないでいましたが、幸運なことに、今年の夏から数ヶ月かけ、ついに作品が完成しました。"Concertino for Saxophone and Small Orchestra"という名前の作品です。あなたにこの作品を捧げることができることは、望外の喜びです。作品は2つのパートから成り、前半は速いカプリツィオ、後半は序奏とアレグロです。サクソフォンパートはやや難しくなりました(もちろんあなたにとっては簡単なことでしょう)が、演奏はとても楽しいと思います。室内オーケストラは、ピアノ、ハープ、1つのパーカッション、弦楽五重奏という編成です。

この手紙に対し、ラッシャーは次のように返信している。

あなたの作曲したポーランドのサクソフォン協奏曲が出来上がったとは、なんと素晴らしいニュースでしょう!
私は数日前に世界ツアーから返ってきたばかりですが、あなたからの手紙を受け取ってとても嬉しくなりました。ピアノリダクション版の完成を楽しみにしています。現在、あなたの協奏曲の他に3つの協奏曲を勉強しています。オーケストラの編成は、これまでに見たことのないもので、とても興味深いです!

残念ながらこの特徴的なオーケストレーションを施したスコアはワルシャワ蜂起の際に失われ、現存するのは、1947年に作曲者自身がピアノリダクション版から再オーケストレーションを行った弦楽オーケストラ版なのである。

実はこの作品については、他にもいろいろと興味深いエピソードがあるのだが、それはまたの機会にご紹介したい。

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