2007/09/13

コミュニティの光と影

サクソフォン吹きは、なぜか同族で固まる傾向がある。もって生まれたこの楽器の特徴…19世紀生まれ・オーケストラに入れず・レパートリーは近現代・木管と金管の折衷楽器・その他もろもろが、そのまま奏者の精神にも乗り移り、いつの間にやらクラシック・サクソフォンという堅牢なコミュニティを形成してしまった。

このコミュニティの居心地は大変良い。同族とのアンサンブルには事欠かず、培われてきた奏法のノウハウ、魅力的なオリジナル作品の数々…。サクソフォニストは互いに助け合いながら、年月を重ねるにつれ、受け入れ者をどんどんと増やしている。

例えば、そのコミュニティの殻を破って外に飛び出した者は、さながらエデンを追われたかのように、厳しい環境の中で生き抜くほかない。木管アンサンブルにも参加できず、オーケストラにも参加できず、はてどうしたものかと考えるうちに、意識せずコミュニティに舞い戻るのが普通だ。サクソフォン界は、同じ楽器を持った者に優しい。飛び出すのは難しくても、参加することは簡単だ(BGMはプッスール「禁断の園へのまなざし)。

向こう数十年、このコミュニティの豊かさはこのまま継続し、その後もずっと安定さは続くかに見える。しかしどうだろう、フランス・アカデミズム発のレパートリーは、昨今ではとうに食い尽くされた感がある。名曲と呼ばれるレパートリーの枯渇は、そろそろひとつの問題として具現化していないだろうか?サクソフォンによる表現を追い求めすぎて、他の楽器の表現…声の繊細さ、クラリネットのヴィブラートを伴わない歌い方、トランペットの明快さ、などから目を背けてはいないだろうか?教育体系の不確定さはどう落とし前をつければ良いのか(特に日本)?

サクソフォン・コミュニティは、大きさばかり巨大で、中身が希薄な状態にある、と言える。果たしてこの後どうなっていくのか…。

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